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  • アメリカ映画史上の女性先駆者たち

  • 2022/04/16 ~ 2022/05/13

アリス・ギイ Alice Guy (1873 - 1968)
フランス、パリ生まれ。写真会社ゴーモン社の社長秘書として働いていたアリス・ギィは1896年に会社の映画事業として短編映画の製作に乗り出し、22歳で映画黎明期の女性監督となる。世界初の劇映画のひとつ、短編映画『キャベツ畑の妖精』などが成功を収め、同社の映画製作部門の責任者に就任。11年間監督、製作、脚本などを務めた。1907年にカメラマンのハーバート・ブラシェと結婚。夫の転勤で渡米後の1910年に独立プロSolax社を立ち上げ映画製作を再開。ニュージャージーに当時世界最大規模の撮影所を作り、精力的に活動した。やがて映画製作の中心地としてハリウッドが勢力を増していくと、独立プロでの映画製作が難しくなる。20年前後に若い女優とハリウッドへ移住した夫ハーバートはその後キャリアを築くが、アリス・ギィは「千本以上の作品を書き、監督し、製作したが、貢献した産業から忘れられた」(マーティン・スコセッシ)。

ロイス・ウェバー Lois Weber(1879-1939)
ペンシルバニア州生まれ。歌手を志し、実家を離れて舞台などで活動を始める。1906年、のちに俳優・監督となるフィリップス・スモーリーと結婚。1900年代には、アリス・ギイらの元でゴーモン社のクロノフォン(有音映画)の脚本などを担当。1913年に夫と共同監督した『ヴェニスの商人』が女性初の長編作品と言われている。『Suspense』(1913)のスプリットスクリーン、『偽善者』(1915)の多重露光など撮影や編集で魅せたほか、妊娠中絶や死刑制度など物議をかもすセンセーショナルな題材を描き、興行的な成功を収めた。1916年には当時もっとも高給取りの監督と言われ、ユニバーサルの大作『ポルチシの啞娘』を監督。1917年には、ロイス・ウェバー・プロダクションズを設立。パラマウント配給『汚点』(1921)などがヒットした。20年代半ばに自社を手放し、スモーリーとも離婚。ヒットに恵まれず生活は苦しくなり、60歳の若さで亡くなった。

ドロシー・ダヴェンポート Dorothy Davenport(1895 - 1977)
マサチューセッツ州生まれ。両親ともに俳優。16歳で南カリフォルニアに移り住み、短編映画に出演し俳優としてのキャリアをスタートする。1913年俳優・監督のウォーレス・リードと結婚。ユニバーサル(の前身会社)に在籍し、多くの映画に出演したが、1917年に長男を出産し仕事から離れた。1923年、本格的に映画界に復帰。夫をモルヒネ中毒で亡くしたことから、薬物の脅威を喚起した『人類の破滅』(1923) を自主製作で初監督。また、ドロシー・ダヴェンポートの名を捨てて「ウォレス・リード夫人」を名乗り始める。売春問題を描く『The Red Kimono』(1925)など、道徳的なテーマの作品を作った。1934年『破滅への道』で俳優業、『The Woman Condemned』で監督業を引退。その後は名前を「ドロシー・リード」と改め、プロデューサー業のほか、約20本の脚本を執筆。1956年に引退した。

ドロシー・アーズナー Dorothy Emma Arzner (1897 – 1979)
カリフォルニア州生まれ。ハリウッド関係者が集う飲食店を営む両親の元で育つ。大戦後、パラマウントの脚本部、ついで編集の仕事に就く。1922年に『血と砂』の編集を務めた際、演出の能力も評価された。27年にサイレント映画『近代女風俗』で監督デビュー。29年にはパラマウント初のトーキー『ワイルド・パーティー』を監督した際にはブーム・マイクを考案したと言われている。32年にパラマウントを離れてフリーとなり、『人生の高度計』(1933)、『クレイグの妻』(1936)、『恋に踊る』(1940)などで従来の女性像を揺るがす作品を輩出。私生活では、レズビアンであることを隠さず、俳優など著名人と浮名を流した。生涯で20本の作品を監督した後、監督業を引退。その後はCM制作のほか様々な教育機関で教鞭をとる。晩年はUCLAでフランシス・フォード・コッポラらを教えた。

アイダ・ルピノ Ida Lupino (1918 - 1995)
ロンドン生まれ。10代で舞台・映画俳優のキャリアをスタート。16歳でハリウッドへ移住し、30、40年代を通じて活躍。「安上がりなベティ・デイヴィス」とも呼ばれたが、タフな女性を数多く演じた。役を選び、度々スタジオと揉める彼女に監督への転向を勧めたのは『ハイ・シエラ』などで3度組んだウォルシュだったと言う。40年代末、当時の夫でプロデューサーのコリアー・ヤングとともに製作会社The Filmakersを立ち上げる。彼らの製作していた『望まれざる者』(1949)でエルマー・クリフトンが病に倒れたため、共同脚本家のルピノが監督を引き継ぎデビューすることになった(ノン・クレジット)。作品数は多くないが、レイプの問題を描いた『暴行』(1950)からフィルム・ノワール『ヒッチハイカー』(1953)まで多様な作品を作る。60年代以降は出演・演出業ともにテレビでの活動が多くなるが、70年代に至る長いキャリアを築いた。


※すべてデジタル上映

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