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  • Strangers in Hollywood1

  • 2021/12/18 ~ 2022/01/21

 アメリカが人種の坩堝であるように、ハリウッドは外国から来た人々によって作られたと言える。ヨーロッパから亡命してきた映画人だけでなく、才能ある人々はハリウッドを目指した。今回はドイツで映画に関わったのち、ナチスから逃れてアメリカに渡りハリウッドで活躍したドイツとオーストリア出身の3人の監督を特集する。

ダグラス・サーク(1897-1987)
 ドイツ・ハンブルグ生まれ。大学卒業後、舞台演出家として躍進する。ナチスの台頭で、弾圧が強い演劇を離れて映画を志し、1934年にウーファと契約。すでにラングやシオドマクら多くの映画人がアメリカへ渡った後でもあり、『世界の涯てに』など本名のハンス・デトレフ・ジールクで数々の作品を監督し活躍する。妻で女優のヒルデ・ヤーリがユダヤ人だったため、37年ドイツから亡命しハリウッドへ渡る。その際ドイツ的すぎて仕事がこないということで本名からダグラス・サークと改名。
 始めはワーナーと契約し43年には反ナチ映画『ヒットラーの狂人』を監督。52年〜58年ユニバーサルと契約し、この間に『心のともしび』『天はすべて許し給う』『風と共に散る』などの数多くのメロドラマの名作を誕生させた。58年に最後の長編作品『悲しみは空の彼方に』を監督すると、ハリウッドを去りスイスへ移住した。
ヨーロッパに戻ってからはいくつかの短編を除いて映画製作からは離れたが、60年代以降はドイツで再び演劇演出に携わった。1984年にはダニエル・シュミットが、インタビュー映像を含む彼のドキュメンタリー『人生の幻影』を完成させた。

ロバート・シオドマク(1900-1973)
 ドイツ・ドレスデン生まれ。ユダヤ人の両親の元で育つ。25年に映画の世界へと入り、カーティス・バーンハートの脚本などを手がける。1929年、エドガー・G・ウルマーと共同監督で『日曜日の人々』で長編初監督。これをきっかけにウーファ社で活躍するが、33年ナチスの政権掌握後、ワイルダー、オフュルスらとほぼ同時期にパリへ渡る。パリでも監督を続けたが、パリ陥落の40年にパラマウントからの招致でハリウッドへと亡命した。
 ユニバーサルと契約し44年に『幻の女』で評価を得ると、以降51年までに『らせん階段』や『都会の叫び』、『裏切りの街角』などB級娯楽映画を監督し、フィルム・ノワールの巨匠となる。46年の『殺人者』はその後ノワールを中心に活躍することになるバート・ランカスターのデビュー作となった。
 52年にランカスターとの3度目の作品『真紅の盗賊』を監督した後、ヨーロッパへと戻る。以降西ドイツを中心として、メロドラマや戦争映画など、スリラーにこだわらず幅広いジャンルを監督した。67年には再びハリウッド製作(撮影はスペイン)で西部劇『カスター将軍』を監督するが評価はふるわず。69年に引退し、晩年はスイス・ロカルノで過ごした。

フレッド・ジンネマン(1907-1997)
 オーストリアで、両親ともユダヤ人の家庭に生まれる。27年に大学卒業後パリへ渡り、映画撮影技術学校で学ぶ。その後ベルリンにて映画撮影現場に携わり、ウルマー&シオドマク監督の『日曜日の人々』では撮影助手として参加した。29年にハリウッドへ渡り、同郷出身のベルトルト・ヴィアテル監督の助監督などを務めた。一時はフラハティの助手としてベルリンへ渡ったほか、33年にはメキシコでドキュメンタリー『波』を監督している。
 37年から3年ほどMGMで短編映画の監督業に従事する。42年に長編監督デビューを果たし、翌年には反ナチ映画『第七の十字架』を監督する。度々スタジオと衝突し厄介者扱いされていたが、47年に戦争を描いた社会派ドラマ『山河遥かなり』で一躍評価される。MGMとの契約が終了すると、プロデューサーのスタンリー・クレイマー、脚本家のカール・フォアマンと組み、『男たち』や『真昼の決闘』を監督した。53年には『地上より永遠に』でアカデミー賞8部門を受賞。反体制的な信念を持ち、メッセージ性の強い作品を多く生み出したことから、「ハリウッドの良心」と言われている。晩年はイギリスを中心に活動し、92年には自伝を出版した。


※『山河遥かなり』以外はデジタル上映

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